October 31, 2007

いかにして、「コスト+マークアップ」の価格設定から抜け出すか

  
  労働集約的なサービス業において、自分も顧客も満足できる「良い仕事」をできる限りしていこうと思うと、やはりどのような顧客に焦点を絞り、どのような価格設定を行うかということが、極めて重要なのだと思います。

  昔、会計監査の仕事がメインだった頃、いつもお客様から、稼動日数見積×単価の見積書の提出を求められて、その日数を増やす、減らすでギリギリ交渉させられ、ほとほと嫌気がさした記憶があります。特にオーナー社長との属人的な信頼関係に基づく交渉ができない大企業ほど、組織対組織の交渉となり、「誰が来るか」ではなく、「何日来るか」でもめることになります。

  差別化がほとんどできない会計監査サービスの交渉の経験を通じて、「コスト+マークアップ」の価格設定から抜け出さない限り、私達のような労働集約型サービス業は、決して走り続けることから解放され、一息つけることはないのだということを痛切に感じました。
  もちろん、徹底したマニュアル化によって低賃金(若年)労働者を活用し、圧倒的なコスト競争力で勝負するという方法もあるにはありますが、それは、高度に「仕組み化」が進んだ大規模組織として取りうる選択肢であるでしょうし、この場合、現場で働く従業員としては、全く面白みのない単純作業系の仕事を強制されることとなり、少なくとも、私は耐えられません。(投資家や経営者として果実を獲得する側にいる場合には、仕事の内容そのものに、それほどの面白みを感じなくても、良いのかもしれませんが・・・)


  自分のやりたい仕事をしながら、「より、チャレンジングな価格設定を顧客に受け入れてもらえるにはどうしたら良いのか?」を突き詰めて考えた場合、「差別化によるブランド価値の向上」「徹底した顧客の選別」の二つのベクトルを推進するしかないように思うようになりました。

  サービス業における「差別化によるブランド価値の向上」を考えた場合、サービスのクオリティと同じくらい重要なのは、やはり「最後は右脳系で攻める」ということなのだと思っています。顧客のかゆいところに手が届く、「感性」を訴求するサービスを提供し続け、顧客が競合他社や原価を意識しないように仕向けない限り、高単価は受け入れられないと思うからです。サービスで言えば、ここらあたりのホテルが、商品でいえば、ここの家電あたりがベンチマークになるのだと思います。(余談ですが、私は、表参道ヒルズのAmadanaのお店を覗くのが好きです。)価値を理解できない人にとっては、「詐欺の一歩手前」と思われるようなサービス・商品こそが、実は究極のブランド価値なのかもしれません。

  また、「徹底した顧客の選別」が必要なのは、「サービスの価値を理解してもらえない」顧客に押し売りでサービスを提供して、サービス提供後に難癖をつけられた上、値下げを飲まされるサイクルで仕事をするのは、本当に消耗するからです。大変失礼な言い方かもしれませんが、「価格によって顧客を選別する」という発想も、形のないプロフェッショナル・サービスには、特に重要な要素なのだと思います。「価格」が私共とお客様の間に緊張感を与え、その緊張感の中でプロとして最善を尽くすことによって、その価値を理解して頂けたお客様との間で長く良い関係を続けるという戦略です。毎回毎回、厳しいプレッシャーの中で全力を尽くすというのは、本当に骨の折れることですが、やり遂げた時の達成感は大きいものがあります。

  ベンチャー支援の仕事にしても、かつてはお客様に資金的余裕がないところが多いという理由で、「無料」でいろいろとボランティア的に引き受けてきたこともありましたが、数年前から、少なくとも自分の本業に関するものは、たとえ、それがセールス関連業務であっても、基本的に無料で引き受けるのはやめるようにしました。なぜなら、「無料」ということが、私達に甘えを生み、顧客の誤解を招き、結果、サービスを提供する側も受ける側も不幸になることが多いことに気づいたからです。

 「顧客の選別」を進めると、マーケットが小さくなるため、いわゆる企業化のメリットは小さくなります。ただ、「専門ブティック型」で好きなことを仕事にしたいと思っている人間には、それでいいのだとも思います。

  「本業は専門ブティック型ビジネスモデルを追求し、投資は企業型ビジネスモデルを追求する」というのが、案外、良いバランスなのではと思う今日この頃です。


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October 28, 2007

ブランドと販路の重要性

  
  日経ビジネス10月29日号に、カバン製造のエースが「サムソナイト」ブランドのライセンス販売企業から、自社ブランド「プロテカ(製品のみならず、リンク先のCMムービーもオススメです)」を有する企業に脱皮するまでの様子が特集されています。

  この特集記事によれば、エース社は、1964年以来40年以上続いてきた米国サムソナイト社とのライセンス契約が、2002年初頭において、転換期を迎えることとなりました。サムソナイト社の戦略変更により「製品企画機能の全く持たない合弁企業のパートナー」か、「契約解消」かを迫られることになったのです。ここで、エース社が出した結論は、「契約解消」、「自社ブランド立ち上げ」という困難な道でした。

  ライセンス契約当初は、エース社はサムソナイト社から、スーツケースなどの製造技術供与を受けていたものの、ここ最近は、製造技術は独自に磨きをかけ、更に独自のサムソナイト製品の企画機能も持っていたようです。ただ、サムソナイト社との契約終了年度である2004年時点においては、ライセンスブランドの売上が全社売上の8割以上あり、特にサムソナイト社のライセンス商品は、全社売上の3割を占める状況であったようです。

  もともと日本で販売されるサムソナイト製品は全量、エース社の日本の工場で製造しており、製造技術、品質管理は抜群であったとはいえ、自社ブランド売上が2割に満たない状況で、「サムソナイト」という強力なブランドを失うことは、営業部門を中心に猛烈な反発があったようです。

  そういった逆境を乗り越え、エース社は、2002年の後半より、練りに練った「脱サムソナイト」戦略を進めます。

  2002年11月、トップの決断で自社ブランド開発に取り組み、イタリアの有名デザイナーと組むことで、斬新なデザインを特徴とするスーツケース「プロテカ」ブランドを立ち上げました。また、自社ブランド立ち上げと同時に、トップが率先垂範する計画的な営業攻勢で、全国の百貨店その他の有力販売チャネルを行脚し、自社製品へのスイッチを粘り強く説得しました。更に、小売店舗に派遣する販売スタッフへの教育を徹底して行い、「サムソナイトはありませんか」という顧客の質問に対して、ライセンス契約が終了したことを丁寧に伝え、スムーズに自社製品に誘導できるような練習を時間をかけて行ったようです。

  その結果、2005年の上半期こそ、売上が前年比で低下したものの、下半期から、売上は回復しはじめ、2006年以降は増収に転じ、自社ブランド比率は5割近くまで高まったようです。
また、2006年12月には、米国のアルミケース製造販売会社「ゼロハリバートン」を買収し、これまでサムソナイト社によって制限されていた海外進出を積極的に進める戦略も明確にしました。


  百貨店のカバン売り場を見るにつけ、このエース社の自社ブランド戦略は、今のところ非常にうまくいっているように見えますし、この成功は、品質や技術力に自信のある多くのOEMメーカーにとって、参考となる事例であるように思います。

  もちろん、エース社の事例は、「他社の追随を許さないような高いレベルの製品の企画・製造技術に裏付けられた顧客の評価」と、「サムソナイト社側からのライセンス契約の変更の申し出」という時機を見計らったからこそ、採用できた事業戦略ではあると思うのですが、改めて、「戦略的にブランドと販路を構築することの重要性」を感じました。


企業も個人も同じなのだと思います。

  いずれ、独立したプロフェッショナルとして仕事をしたいのならば、「職人としての腕・他のプロフェッショナルとのネットワーク力」を磨くことは当然のこととして、独自のブランドと販路を戦略的に構築することにも力を注がなくてはならないと改めて思いました。その点、私は、まだまだです。

  とりあえず、どんなに忙しくとも、名刺代わりになるような書籍でも書くことに挑戦しなければと思う、今日この頃です。


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October 24, 2007

「白い恋人」と「赤福」の共通点


  伊勢名物「赤福」にも、製造日偽装、廃棄品の原料としての再利用等の事実が発覚し、三重県は食品衛生法に基づく「無期限の営業停止処分」を下したようです。先日の「白い恋人」に続き、定番土産の信頼がまた、突き崩されることになりました。いずれも商品も私も出張帰りによく購入していただけに、ショックです。

  それにしても、この2社、とても共通点が多いことに気がつきます。

  いずれも同族経営の菓子メーカーの老舗で(「白い恋人」の石屋製菓は1959年設立、「赤福」の株式会社赤福は1954年設立)、「白い恋人」は、発売してから30年、「赤福」に至っては、源流製品を発売してから300年の伝統があるようです。両社の売上規模も石屋製菓が90億程度、赤福が80億程度で、似通っています。また、製造日偽装は、石屋製菓が11年、赤福は30年などといわれており、不正の歴史まで長い点も共通しています。

  そして最大の共通点は、地盤としている地域のどこの土産店にも置いてあった「白い恋人」と「赤福」への売上依存度が極めて高いことです。(「白い恋人」で売上の8割弱、「赤福」はそれ以上ではないかと、新聞記事には書いてありました。)やはりこれだけの全国的な知名度のある定番商品を持っていると、その製品の製造・販売に特化した方が効率的ですし、利益も出ます。経営者として、主力製品の拡販に特化したくなる気持ちはよくわかります。(流行の言葉で言う「選択と集中」でしょうか)
 
  ただ、特定商品の製造・販売に特化すると、その商品の売れ行きが何らかの理由で悪くなった時の経営に与える影響は非常に大きくなりますし、何より事業活動が全て特定商品の需要動向に左右されるため、需要の季節変動性が大きい商品だったりすると、操業度の平準化がとても難しくなります。その結果、「作り貯め」みたいなことが横行し、今回の不正のようなことにつながったりするわけです。このように考えていくと、「特定製品への特化」という事業戦略を極限まで進めていった結果、今回のような不祥事は、「起こるべくして起こった」とも言えそうです。

  特定製品、特定顧客への集中は、大きなリターンを生む可能性もありますが、それには大きなリスクが伴います。経営者も頭では十分にわかっているのでしょうが、こういう会社に限って、次の製品・事業がなかなか育てられなかったりもします。今回お尻に火が付いた2社が、内部留保があるうちに「次の製品」が生み出せるかどうか、「災い転じて福となす」ことができるかどうか、老舗の力量が問われる正念場ですね。

 そういえば、この会社も大丈夫でしょうか?最近、「豆乳クッキーダイエット」聞かなくなりましたが・・・。


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October 21, 2007

「失敗の本質」


  野武士、一兵卒として生き残るために要求される能力と、指揮官として組織の生き残りを図るための決断や行動をするための能力は、全く異なるものであるような気がします。

  下士官や兵隊がたとえ優秀であったとしても、重要な局面における組織のリーダーの意思決定に誤りが生じれば、大組織でも簡単に滅びます。業績不振や不祥事で滅んでいく組織体には、それぞれトリガーとなる事象はいくつかあるのでしょうが、「真の原因は何だったのか」と突き詰めて考えてみると、「過去の成功体験等に基づく発想の延長に固執しすぎて、新しい環境の変化に気がつかず、適合できなかった」ということがよく言われます。

  私自身、組織の崩壊に直面して、最近、その崩壊の過程を記述した書籍を読みながら、その経緯を改めて「コールド・アイ」で振り返ってみると、そこに噴出している諸問題の多くが、かつての大日本帝国陸海軍の組織上の諸問題と言われていた事項とあまりに似通っていることに気づかされました。

○意思決定にあたっての情報収集能力の軽視(諜報機関の軽視、レーダー技術の遅れなど)
○過去の強烈な成功体験(日清・日露戦争の勝利)からくる、旧来の考え方(白兵銃剣主義、大艦巨砲主義)への固執と変化の見過ごし
○楽観的な見通しばかり持ち、過去の失敗から一般解を抽出して徹底的に学ぼうとしない組織風土(短期決戦志向とそこから来る兵站の軽視など)
○組織内セクショナリズムの浸透と硬直的な人事制度からくる極端なコミュニケーション不足(陸海軍の不和、制服組の完全年功序列体系など)
○ダメージコントロール(犠牲を受けることを前提としてそれを最小限に抑える)発想の欠如

  滅びる組織というのは、多かれ少なかれ、上記のような問題を抱えているのではないかと改めて思いました。なぜ、大日本帝国陸海軍を例に出したかというと、「歴史好き」というのもありますが、下記の書籍「失敗の本質〜日本軍の組織論的研究」を大学生の頃に読んだのを思い出したからです。


  今回、改めて読み直してみたくなり、アマゾンで発注したのですが、入手した中公文庫版のものは、「2007年1月25日32刷発行」となっておりました。やはり、「一般人にもわかりやすい組織論・戦略論の名著」としてロングセラーとなっているようです。こういう書籍は、私も書棚に長く残しておきたいと、改めて思いました。



P.S.
  最近、仕事が猛烈に忙しく、更新頻度が落ちています。毎日、お越しの読者の皆様には、申し訳なく思っておりますが、今後とも末永くご訪問頂ければ、幸いです。

02:14:00 | cpainvestor | | TrackBacks

October 13, 2007

理と情

  
  リサーチ系シンクタンクのいかにも理系のコンサルタントの話を聞いたり、お仕事でいわゆる有名ファンドのInvestorの方とお話をしたりすると、その場では「う〜ん、この人賢いなあ、切れるなあ」と思うことが多々あります。ただ、しばらくすると、何の話をしたか、まったく覚えていないことも多いのです。「なぜなのだろう?」と考えてみると、やはり、印象が薄いのだと思います。やはり、印象に残る話というのは、面白い視点とか、シャープな分析の視点があるだけではダメで、「なんかあの人、熱い人だったなあ。」とか、「考え方にとても共感を覚えるなあ」とか、そういった感情とセットになっていることが多いように思います。

  組織の中で仕事をしていたりすると、こういう傾向はより顕著だと思います。「あの人、言っていることは筋道が立っていて正しいのだけど、なんかとっつきにくいんだよな」と、敬遠されている方がいる一方で、「あの人に言われると断れないんだよな」的な人望がある方もいたりするわけです。後者の方は、だいたいものすごく後輩の面倒見が良かったりするわけです。

  結局、人間は、「理」だけでは、本当の意味で動けない(モチベーションを高く保った仕事はできない)のだと思います。チームとして良い仕事をするためには、「情」や「共感」が絶対に必要なのだと思います。

  
  私は最近、ある巨大組織が音を立てて壊れていく様を間近で見たわけですが、「結局、誰に優秀な人間がついていくか」は、最後はリーダーの「人間力」、すなわち、その人が日頃からとっている行動や信条が、最も重要な要素であるということが、改めてよくわかりました。

  「人間力」の差は、修羅場に立たされた時、顕著に現れます。「部下を置いて敵前逃亡」するリーダーは論外ですが、「決断ができない」「自分だけ生き残ればいい」的なリーダーも実に多いです。

  こういった場面に若いうちに直面することができたことは、本当に自分の財産になったように思います。「自分がリーダーの立場に立った時には、絶対に後ろ指をさされるような行動だけはするまい。」心から、そう思う今日この頃です。


P.S.
  今回のKENさんのコラム「金持ち父さん、貧乏父さん」に私はとても共感を覚えます。皆様もぜひお読み下さい。


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