January 16, 2007

私の職業観

  
  先日は、ホワイトカラーエグゼンプションを制度として導入すべきか否かについて私見を書きました。ただ、個人としての職業観となると、だいぶ変わってきます。

  雅さんの日記を読んでいて共感することがとても多いのですが、私もかなりのワーカホリックであるような気がしています。その根底にはやはり、「自分自身の力で飯が食えるスキルを身につけておかないと不安で仕方がない」という変な「恐怖感」が、常に私の中にあるのだと思います。キャリア志向とかそういったものではなく、間違いなく「恐怖感」です。

  私の父は地方公務員でした。安月給ながらも分譲マンションを購入し、ローンを一生懸命返済しながら、息子3人を大学まで卒業させました。(弟は留学までさせてもらいました。)経済的には決して恵まれていませんでしたが、私や弟達が小学生、中学生のときは、よく勉強を見てくれました。父はいつも言っていました。「自分は高校しか出ていない、そのために苦労しなきゃならないことも沢山ある。自分の人生を少しでも自分でコントロールできるようになりたいのだったら、勉強はきちんとしなさい。そして、自分自身の力で飯が食えるような職業を探しなさい。」
 
  この言葉が私の深層心理にずっと残っているのだと思います。大学に入ったときも、周りの人間が楽しく遊びほうけているのに、それにすっきりと乗っかれない自分がいました。「このままではまずい。自分自身で飯が食える仕事は何かないか・・・」そう模索する毎日でした。

  あることがきっかけで、「公認会計士」という職業があることを知りました。実際にその仕事に就いている方にお会いする機会もありました。そのとき思ったのも「面白そう」ではなく、「これなら飯が食えそう」という発想でした。
 
  私は不器用な人間なので、勉強を始めてから合格するまで、足掛け3年半かかりました。学生時代から勉強をスタートしましたが、最後の1年半はプータローでした。もしあの時、合格していなかったら、私はあの泥沼から抜けることができず、ニートになっていたかもしれません。考えただけでもぞっとしますが、人間、朝から晩まで勉強三昧、極貧の中で修行僧のような生活を続けていると、だんだんおかしくなってきます。この試験への挑戦は、3回が限界だと痛切に思いました。当時、まったくお金がなかったため、毎日、コンビニで「ロールパン」の袋を買って食べるか、自分でご飯を炊いて「サケフレーク」のおにぎりを握って、受験予備校に持っていって食べていました。おかげで、今はでも、「ロールパン」と「サケフレーク」を見ると当時のことを思い出してしまうため、口にできません。
 
  就職する時も、「一番早く飯が食えそうな力が身につくのはどこなのか」という選択基準で、外資系会計事務所を選択しました。当然、英語は全くできませんでしたが、「試験に合格しているのなら、若くて健康なら良い」ということで、入れてもらえました。
 最初の仕事は、SEC上場企業の会計監査でした。散々日本の会計基準を勉強したのに、いきなり英文財務諸表、しかも米国会計基準で泣きました。とにかく単語を覚え、自分なりにがんばったつもりですが、まったく歯が立たずの状態でした。
 次の仕事は、「できれば英語を勉強したい」と入社時の面接で言ってしまったのがいけなかったのでしょうか。いきなり外人マネージャーと外資系企業の日本子会社の監査でした。ランチの英会話がものすごくつらかったのを覚えています。

  入社して1年たった頃、入社1年目の定例研修がありました。「研修の時は休める。ああ幸せだ。今日は誰と飲もうかな。」とまったりとしていたら、いきなり人事パートナーが現れ、「皆さん、日本経済の復活のためにぜひがんばって働いてもらいたい。」とわけのわからないことを言われ、研修を中断されたあげく、系列のコンサル会社に連れて行かれました。当時は、大手の金融機関がバタバタ倒れ、ハゲタカファンドと言われる外人投資家が、こうした会社を買い漁り始めたところでした。それから1年半ほど、今で言う「財務デューデリジェンス(買収監査)」の兵隊として昼夜関係なく働きました。それこそ労働基準法などあったものではありません。ただ、目の前に膨大な作業があり、それをこなすので精一杯でした。ただ、残業代は青天井だったことだけをよく覚えています。(これが裁量労働制だったらと思うとぞっとします。)
  当時は、なぜ、こんなボロ会社を外資系ファンドが喜んで買うのか、よく理解できませんでした。最近になって、この時調査に行った会社が上場したりするのを見るにつけ、「彼らの実力は本当にすごい。投資というものは、こういうものだったのか。」と納得できるようになりました。どこかの国会議員が「ハゲタカファンドは儲けすぎだ」などと批判していましたが、日本経済がどん底で、国内には誰も買い手がいなかったボロ会社や不良債権を、冷静な投資計算に基づいて、積極的に買いに来た度胸は、巨額のキャピタルゲインを手にするに値すると思いました。

  兵隊としての仕事を段々とマスターするにつれて、「このままここにいたら、絶対健康に悪い」と思うようになり、今度は、社内の「出向募集」のお知らせに手を上げて、某新興市場の上場審査部に出向しました。労働環境はだいぶましにはなりましたが、世はITバブルの絶頂期でした。何十社かの上場審査を担当し、何人もの有名経営者にお会いして、すっかりベンチャー企業のダイナミズムに魅せられてしまいました。毎日、有価証券報告書を見るのが仕事の一部であったため、「企業分析とは何か?」ということについて、先輩審査マンから徹底的に仕込まれました。
  会計士の仕事の王道は、いわゆる国内企業の「証券取引法に基づく監査」なのですが、結局入社して4年間は、まったくと言っていいほど、この手の監査の仕事はやりませんでした。出向から戻ってきた時には、「人がこなしてきている仕事をしていない」と、ものすごい焦りがありましたが、今となってみると、それぞれの場所で、本当に良い経験をさせてもらったと思います。


  最近では、昔に比べると、だいぶ仕事を選んでいますが(笑)、ちょっとしんどい仕事にぶつかったとしても「あのときのデューデリに比べれば・・・」と思うことで大抵のことは耐えられます。
  もう少し、スマートに働きたいと思うのですが、どうも「恐怖感」が抜けないため、同じことを何年も続けていると不安になる性分です。カチっと自分の仕事を定義して、要領よくやっている同僚を見ると、自分もああいう風にできればなあと思うこともありながら、そうできない自分がいます。

  家族を持った今、働き方を少しずつ見直そうとは思っていますが、なかなかうまくギアチェンジできません。どなたか、この「恐怖感」のやわらげ方について、良いアドバイスをいただける方はいらっしゃいませんでしょうか。

  妻は、「根は相当に深そう・・・」とコメントしております。


01:38:47 | cpainvestor | | TrackBacks